海外での交流事業

「人に会う旅」
〜フィリピン・ピナトゥボ地域との交流

「中部ルソンの人々にとっては、突然、休火山が目を覚まし、破壊の種を蒔いた時、彼らの生命は悲惨なものに転落した。」
(中部ルソン緊急援助復興センターの資料から)

1991年6月、フィリピン・ルソン島のピナトゥボ火山が20世紀最大と言われる大噴火を起こしました。
時あたかも、私たちの住む岩倉では市制20周年、平穏な日々の中、年間を通じて各種の記念事業が行われていました。
その記念事業の一つ「で愛ふれ愛バザール」で集った義援金を
日進市にあるアジア保健研修財団の仲介で、ピナトゥボ火山の被災地へ贈ったのがことの始まりです。

「贈る人、贈られる人、という関係でなく友達になりたい。そのために現地へ行きたい。」
かなり無謀な発案でしたが、協会が発足した年の1992年の秋、
大人のみ10人の訪問団が初めてマニラのニノイ・アキノ国際空港の雑踏の中に降り立ったのです。
一行はパンパンガ州フロリダブランカ市の保健所の医師、クユーガンさんの出迎えを受け目的地フロリダブランカの町に向いました。
ジプニーでぎゅうぎゅう詰めにされて走る数時間の旅。
道路端の火山灰がむせ返るほどに舞い上がり、汗ばんだ一行のシャツを容赦なく灰色にしました。
一行はフロリダブランカ市の保健所の関係者(助産婦や看護婦)の家(彼ら自身も被災者でした!)に、一人ずつ温かく迎えられました。

こうして始まった「ピナトゥボ被災地」へのホームステイ交流は、この後、「人に会う旅」と名づけられ、毎年繰り返されています。
(2007年11月の訪問で15回目となりました。<2003年は中止>)